お葬式

最近一番の大きな行事は祖母のお葬式。

97歳。カジマヤーもすませて、
息をひきとった当日はモリモリ朝食を食べ、
しっかり栄養とって、眠るように天への旅路につきました。

一世紀近く生きた。
ボケもせず。
食事も普通食で。小食でもなく。

好んだ嗜好品はコーヒーとチョコレート。
これは、亡くなるまで食していた。

好きなのだけ食べて長生きした。

精一杯生ききったので本当に天晴れだ。

私は通夜では泣かなかったけど。
火葬場で火入れのスイッチが入った瞬間、私にもスイッチが入って
ホントに泣き崩れた。
理性では、今回は泣かずにおくってあげられる。
じーちゃんの時とは違って成長したなあ。
とか思ったけど。

火葬場は現実に引き戻す場所でもある。
ホントにお別れなんだよ、と。

娘(4歳になったばかり)は仮通夜、御通夜は連れていって、
火葬場も連れてくつもりだったけど。
夫に「娘に見せるにはまだ早い」と止められたので火葬場は私一人参加。

私のとこの家系はそういうことには無頓着なのかあえて見せるのかわからないけど
私もものごころつくかつかないころから親族の葬式や火葬して骨壷おさめ、ってのは
参加させられてたので、まだ早いのかな~?そうかな~?と思った。

夫側の家系は死やお墓には小さい子は触れさせないという配慮をする方針。
三歳まではお墓に近寄らせないぐらい。
門中墓でいろんな人がいるから、という理由。

うちは門中ないから、そういう意識、育たなかったのかな。

結婚して初めての近い親族の死ではいろいろ発見があるなあ。
とも思いました。

妹は関東から子ども連れてきてたので、うちの娘と同じ年の姪っ子も
火葬場に連れて来ざるを得ないので、その子はばーちゃんが骨になるのもしっかり見た。

その後、「死にたくない」ってうちの妹に訴えてたそう。

小さい姪は遺体が骨になるまでを見てた。
だから「ひぃばあちゃん早く元気になるといいね」とか
今でも言ううちの娘みたいなことはもう言わない。

うちの娘は眠るように横たわってるひぃばあちゃんだけしか見てないから。
実際ほんと寝てるみたいだった。


お葬式、そして初七日がこないだ終わりました。

お坊さんが
「死は皆に平等なので精一杯生きてください。死だけは順番良く、とはいかないのです。
ばあちゃんの次、お母さん、子ども、孫、って順番良くいけばいいのだけど、そうじゃないから。若いから時間がいっぱいある、とか。年寄りだから時間が無い、とか、そうではないのです。明日は自分かもしれないということもあるから、今を大切に生きてください、というのがご先祖様の願いです」
というような意味(多分)のことを言っていて、ホントにそうかも、と思いました。


現実は順不同。
なのにまるで順番良くなってるように錯覚しちゃってる世の中。
順番良く、は理想なんだよな…。

逆だと気が狂うかもしれん。
たまに順不同かも、ぐらい思っとかないと、
新しい命を育む心が折れてしまうわ。

だから祈るんだろなあ。

親しい人全員に見えないSPをつけたくなるけど。



諸行無常な世の中を、健全に幸せに生きていこうと思います。
できるだけ世の中に喜びを見出す側の人間になれるように頑張りたいです。

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